留年生記

大学を留年したタナトスが気ままに書いていくブログです。

自分を幸せにするために

今日は昨日発見した自分の存在理由について、語りますなが。

 

 

僕の存在理由は結論から言いますと

自分を幸せにするためです。

 

こう至った理由は、

自分は最終的には自分以外の誰にも干渉できない存在だからです。

 

自分という存在は今、こうしてブログを書いている自我以外は誰も最終的に動かすことはできません。

 

自分の最終決定権は自分にしかないのです。

 

それは、良いことか悪いことかは分かりませんが。

 

他の誰も自分の最終決定権は持っていないので、自分に影響を与えるために

間接的に影響しようとしてきます。

(ここでいう直接は自分の内側から

間接は外側から)

 

例えば、教える、吹き込む、説教する、折檻する等です。

 

こうして、間接的に影響を及ぼそうとします。

 

自分はそうした間接的な影響により自我を最初は形成されます。

 

性格が環境に依存するのはこれのせいですね

 

 

しかし、その間接的な影響を参考にしたりしなかったりで途中から意思決定が生まれてきます。

 

早ければ幼稚園、小学生頃からですね

 

遅い人はもっと遅いですが、それ事態も環境に依存します。

 

 

そうして、生まれた意思決定は

自分の直接的な決定権となります。

 

これを周りから否定されたり肯定されたりしながら、その意思決定もその都度更新され、 

 

時が経つにつれ洗練されていきます。

 

 

ぼくは、この意思決定がようや細部まで洗練されたのです。

 

 

たぶんですがf(^_^)

 

 

そうして、できた意思決定は誰にも否定させないようにしなければならないと自分はおもいます。

 

 

そうしなければ洗練した意味もないので、

 

 

なので、最初に戻りますが

自分を自分以外の誰も干渉することができないので

自分を自分が意思決定して方向を明示しなければなりません。

 

そうしなければ道が定まらないので

どっちつかずになってしまいますからね

 

 

僕は、その意思決定から幸せにしたいという

道を選択しました。

 

 

 

なので、僕はこれから自分を幸せにする。

 

もっと言えば毎日、瞬間毎に幸せを味わい続けることが僕の選択です。

 

 

なので、これからは幸せの方向に迎えるような

 

記事も書こうかなって思います。

 

 

 

その方が僕が迷ったときの道しるべにもなりますからね⊂(^(工)^)⊃

 

 

 

では、これにて

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

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